木田元「存在と時間の構築」読書メモ (Japanese Only)
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一言で述べるとハイデガーの存在と時間を解説した本です。著者の長年におよぶハイデガー研究の成果が多く盛り込まれており、存在と時間そのものだけではなく、その裏にあるハイデガー自身によるあるいは他の科学者・思想家の文献を豊富に引用しながら話が進みます。哲学関連書籍にしては平易な言葉が用いられており、ハイデガーの思想そのものというよりは著者木田元の独自のハイデガー解釈の解説、(つまり本当にハイデガーがそう考えていたかの検証は脇に置くとして)と言った方が私にはすっきりします。
存在するとはどういうことか?という問いが哲学の歴史上非常に重要な問いであったことが繰り返し述べられます。
この問を言い換えると、人間が世界の中で出会う事物を認識する知性の仕組みは一般的にどうなっているのか、という問いとなります。2000年代の脳科学や人工知能の研究がやろうとしていることと最終的な目標としては重なる気がします。ただし、ハイデガーは哲学者ですので、脳波を計測するなどの科学的な実験や、コンピュータを用いた人間知性の再現、といった方法論を取ることはありません。ハイデガーが思索した100年前にそもそもそのような実験を行う技術は確立されていないのでそもそも不可能ですが。その代わりに、2000年を超える西洋哲学史上の文献と思考実験、という2つの方法論のみを用いて(まさに紙とペンのみを用いて)、「人間知性が存在を認識する仕組み」を解明しようという野心的な著作が「存在と時間」という本である、と木田元は解説します。
実際に何が行われるかというと、基本的には自然言語の分析が行われます。例えば、「いる」「ある」という単語が持つ本質的な意味を分析することによって、「存在するとはどういうことか?」という問いに答えようとします。そのような言語分析の中で面白い指摘があって、英語の「be」動詞はまさに「存在する」ことを指し示す単語なのですが、注意深くその用法を観察すると異なる2つの用法があると分析されます。
1.“This is a pen” の”is”。そのものの性質を指し示す。
2.“There is a pen” の”is”。そのものが現実にあることを指し示す。
つまり、1.”This is”の用法は人間のメタな事物の認識作用を表している仮想的なものであるのに対し、2. ”There is”の用法は、現実世界における事物との複雑で有機的な出会いを指し示していると分析されます。概念存在を指し示す「is」と現実存在を指し示す「is」と言い換えても良いかもしれません。
日常の基本動詞「is」に隠れている2つの異なる用法を指摘することで、人間が認識している存在には、概念存在と現実存在の2種類の区別があることを指摘し、近代哲学や自然科学は、1.”This is a pen” の概念存在を示す”is” しか上手く扱えてなくて、2.”There is a pen” の現実存在を示す”is” はうまく扱えていない、と分析しています。
ここで重要な点は、2.”There is”の現実存在を示す”is”は、1.”This is”で示さる概念存在と現実世界の事物を1:1に対応させている、という単純なことではなくて、そもそも目の前にある複雑でかつ時間的に変化する事物を肉体的に直感的に捉えている表現である、と分析している点です。つまり、近代哲学や自然科学は、概念が先にあった上でそれに対応する現実があることを暗黙裡に仮定している、そしてそれは一つの世界の見方でしかなく常に有効な方法論ではない、とされています。
この指摘は教師ありの機械学習を用いて何かしらの現実的な問題を解こうとしたことがある人であれば、ピンとくるのではないでしょうか。例えば、ResNetが画像に紐付いたラベルを上手に言い当てることができたとします。しかし、現実には教師データ中のラベル定義そのものが応用の場面場面において揺れ動く。そして、人間はそのずれにいともたやすく臨機応変に対応しており、この効果をなんとかして吸収する必要があることが、すぐに明らかになります。ResNetが解いている問題が、静止した概念存在を認識するタスクであることに対して、実際に人間がやっている認識はさらにもう少し複雑な認識をやっている。この、2項対立と、1.”This is” と2."There is” の2種類の存在認識の対立が重なって見えてきます。
この議論が行われたのは1920年代、1930年代とインターネットもコンピュータも存在しない100年前です。しかしその理論によって、SNS上のFake Newsや機械学習による認識結果と実応用における認識との誤差が課題となっている2020年現在のコンピュータ産業を取り巻く状況を説明できるように感じました。1”This is X”の用法で切り取られた概念としての存在が、コンピュータやネットワークによって強調されて、2.”There is X”で示される現実世界の事物 と見分けがつかなくなる。そもそも異なる2種類の認識作用を履き違えることで、うまくいかないことが出てきている。
ハイデガーが100年前に、現代社会の課題を予測できていたとは思いませんが、哲学という日常と隔たって見える学問領域の指摘が、コンピュータ産業の課題を説明するのに役に立つかもしれない。これが、この本を読んだことで得た一番大きな発見だったかもしれません。